海光山佛現寺 - かいこうざんぶつげんじ
説明
当山は、海光山佛現寺と号し日蓮聖人の開山なされた寺です。
聖人は困難教護の為『立正安国論』を鎌倉幕府へ奏上した事が北条執権の怒りに触れるところとなり、弘長元年(1261)5月12日御年40歳、伊東に配流の身となられた。
たまたま伊東の地頭の八郎左衛門が奇病にかかり、祈祷により治されたことから起死回生の御礼に同家の重宝海中出現の立像釈迦佛を贈られた。
この尊像は聖人生涯の隋身佛なされ、海が光り佛が現れた由緒から山号を聖人ご自身が命名されています。
御草庵旧跡
日蓮聖人は伊東配流の3年間を伊東家鬼門除けの毘沙門堂にて、法華経を読誦(どくじゅ)修行され『四恩抄』『教機時抄』等を著述せられ、ほけきょうの教文が事実となり聖人の身の上に現れたので、初めてこの地にて『法華経の行者日蓮』自覚宣言された。
弘長3年2月、御年42歳の時赦免され鎌倉に帰られた。この草案跡が佛現寺で、聖人4度の大難中最初の法難霊跡であります。
【天狗詫状】
佛現寺には面白い伝説が残っています。1658年頃、天城の柏峠で旅人を悩ませた天狗を佛現寺の日安上人が祈祷により退治をしました。日安上人は柏峠に行き、巨大な老松の元で7日7晩読経を続け、満願の日に現れた天狗は鼻が三尺。日安上人が天狗の鼻をひねると、天狗は老松の上に逃げ去ってしまった。数日後、きこりを呼んで老松を切り倒そうとすると、天空は曇り一陣の風に老松が地響きをたてて倒れたのと同時に巻物が落ちてきました。以後、天狗は出没しなくなったため、きっと天狗のおいていった詫び証文だろうと佛現寺に保管されている。
初詣スポット
31日23時から1日1時頃まで甘酒もふるまわれます!